今日は千葉で外来でした。この施設での最後の今日、2つの診療所、病院のスタッフや職員の方々皆がはなむけの言葉をくれました。そして、なにより患者さん方からたくさんの惜別と激励のお言葉を頂きました。私は医師としてここでどれだけ多くのものを与えてもらったことか・・。ここで過ごした2年8ヶ月が今後の医師としての私にとってどれだけ大切な宝物になることか・・。自分が予想していたよりも遙かにつらい今日の帰宅でした。
今日は千葉で病棟勤務でした。いつもと同じように起きて出勤ですが、起きてヨメがいること、朝食もヨメと摂ることは未だ違和感があります。今日は午前中胃内視鏡1件、腹部超音波検査2件、午後は胃瘻造設1件、胃瘻チューブ交換1件といった内容です。それに加えていつもの回診、あとはもう一人の非常勤の先生の依頼で先生ご自身にできた頸部の粉瘤切除も入ったのでだいぶ盛りだくさんな日となりました。午前中の検査を終えて療養病棟の回診に向かったのは11時を過ぎてからで、それから回診をしてカルテ記載・指示だしをするとどんなに急いでも12時半は過ぎてしまいます。昼食を摂って午後は胃瘻造設ですが、これはもう慣れた処置で15分もかからずに終了してしまいました。その後の非常勤の先生の粉瘤切除は患者さん自身が医師でしかも知り合い(?)ということで妙な緊張感を伴う処置となりました。幸い処置は成功裏に終了しました(あたりまえ)が、この15分足らずの小手術でも下手な胃切除術よりも緊張したかも知れません。
こうしていつものように淡々と仕事をしてはいましたが、思えば私がここの病院の病棟で仕事をするのは一応今日が最後になるのです。私自身あまりに実感がなく、決して自身で望んだ形での退職では無かったこともあってそれを口にすることもありませんでしたし、帰りも全くいつも通りにお疲れさまの挨拶を交わして病院を出てきました。何をするにもこれが最後だ、などとセンチな気分に浸るほどロマンチストでは全くないのですが今回の退職は大学医局時代に何度か経験した転勤に伴うそれとは全く違ってとても切なさの伴うものです。自分の意志で選んで(とはいっても院長先生に拾ってもらったようなものですが)、大学医局を捨ててまできた施設ですし町医者としての基礎もここで学びました。郷里の診療所で仕事ができるのもここでの経験抜きでは考えられません。明日一日残っているのですが、いざ最後が来てみるとなかなか言葉にできないいろいろな思いが噴出してくるものです。とりあえず今は明日の勤務もしっかりこなさねば・・とだけ考えることにします。
今日は京都のホテルで目覚めです。学会は9時からで会場までは30分弱かかるので今日はいつもよりは少し早起きです。昨日の疲れもあって寝起きは最悪でしたがなんとか起きだして地下鉄に乗り込みました。参加登録を済ませて、予めチェックを入れておいたセッションが行われる部屋に向かいました。消化器外科学会とはいえ現在の私は基本的に消化器の手術をすることはまずないといっていい状況です。科の別にとらわれず患者さんを診るというのが私基本的スタンスではあるのですが、それでも外科医としての自分は忘れたくないということやたまには脳を刺激せねばならないということもあってこうして学会に出席することにしています。それでも出来るだけ普段の自分の仕事に役立ちそうな知見を得たいので今日は鼠径ヘルニアに関するセッションを聴くことにしていました(私のいた大学の医局はヘルニアの手術には相当なこだわりを持っていたこともありますが)。郷里の診療所にはきれいな病室(現在閉鎖中)と立派な手術室があります。手術室は今は体表腫瘤摘出などの小外科と内視鏡検査にしか使われていません。今はまだ私の中だけの考えなのですが、いずれヘルニアのデイ・サージャリー(日帰り手術)ができたら・・と思っています。なにもうちの診療所でやらなくとも病診連携(契約している病院に出向いて手術をする)という方法もありますし、いざというときには一泊入院が必要な可能性もあるので実際には実現は不可能かもしれませんが(病室は閉鎖している・・スタッフの現体制では入院に対応できないので)、診療所として何かしら特色を持たせるためにはこうした選択肢を念頭に置いておく事自体は悪くないと思います。ともあれ、学会自体は興味深い話が聴けて、こうした私の考えを具現化する上でも参考になることもありましたからとても有意義でした。疲れはしましたが、やはりこうしてたまにはアタマを刺激しないとダメだな、と再認識するところではあります。
今日は本来であれば郷里で外来ですが、この土日は京都で日本消化器外科学会総会があるのでお休みをもらいました。千葉には昨日の夜の家に戻り、今朝は5時起きして京都に向かいました。今回は時間に余裕が持てるようにしたのと(今は専業主婦化した)ヨメがついていくいくというので「ちょっとだけ」観光することにしました。思えば高校の修学旅行は何を見たのか思い出せないくらい何も見ていなかったので京都を観光するのは事実上今回が初めてかも知れません。とはいえ時間の制約があるので今日は「私がいつも飛び降りている所」をじっくり見ることにしました。明日にはまた千葉に戻るので結局はハードスケジュールなんですけどね。
23日は千葉で外来でした。私の外来も残すところ今日を含めてあと2回になりました。患者さんの中には私にお礼の言葉を綴ったお手紙を下さる方が数人おられて私としては感無量です。同時に本当に申し訳ないと思ってしまいます。すこしうるうるした気分で郷里に戻りました。24日からは郷里の診療所で外来でした。仕事の内容はいつも通りでしたが、24日夜にはヨメも来て25日には引っ越しするための部屋探しです。予め不動産情報誌でめぼしい物件にはチェックを入れておいたので、あとはヨメが実際に不動産屋さんにいって実際の部屋を見にいくことになっていました。26日には25日にヨメが私の両親とチェックを入れた物件を昼休みを利用して私が見に行きました。今住んでいる千葉の家は普通の一戸建てで収納スペースも豊富なのですがいずれは出ていくことは判っていたので極力荷物を増やさないように努力してきました。・・・きたつもりですが、今になって改めて家の中を見てみると本当にその努力をしてきたのかが非常に怪しいと言わざるを得ません。トログッズ用にしている本棚を始めとしてカップボードや新たに購入したテレビ(36inch)等々、明らかに大物が増えていて、今度の引っ越しはかなり大変そうです。私達はお互い独身時代に一部屋暮らしが長かったので基本的に2部屋でも充分間に合うのですがこれだけ荷物があると引っ越し先の部屋も一部屋は完全に物置部屋として使わねばならず、2LDKか3DKでしかも増えた荷物(?)の中で最大のヨメの車を置くために駐車場は2台分必要です。見に行った部屋はこれらの条件を満たしている上に家賃もお手頃、NTT局からの距離も1km以内(これ重要です!!)で全く不満らしい不満は見つからなかったのでそこにすることにしました。あとは8月中に引っ越しできるように準備です・・これが一番大変なんですが。
今日は千葉で病棟でした。予想通り両肩、うなじの日焼けは絶好調で動くたびに白衣がスレてヒリヒリしていました。仕事の方は例によって午後から胃瘻の造設が1件組まれていました。本当にこのところ毎週のように予定が入っています。もちろん私が退職することに伴って院長先生が組みまくっているのですが、それよりも私が驚くのは対象となる患者さんがいつまで経っても尽きないことです。私がいなくなるため本来は絶対適応でない患者さんにまで行われているということは当然なくて、むしろ毎回よく今まで胃瘻なしで来れたなと思うような患者さんばかりです。巡り合わせがいい(??)というか毎週のようにタイミングよく他施設から紹介されてきてそれがうちで胃瘻造設となる一種の流れ作業のようになっています。その是非は考えても仕方ないのでともかく処置は行っていますが、せめてその中の僅かな例でもいいですから胃瘻を作ったことで居宅介護の方向に向いてくれることを祈らずにはいられません。
仕事自体は特に大きなこともなく終えることが出来て、今日は夜から高校時代の友人(HN:あるま次郎 氏)と夫婦同士で夕食がてら呑むことになっていました。あるま次郎氏は高校時代に連んでいた仲間の一人で奇しくも同じ道を歩んでいます。彼は皮膚科医で出身大学は違いますが医者としては1年先輩で、この6月から私の住む町の近く(茨城県波崎町)の病院に赴任してきているのです。せっかくだから私がここを去る前に呑もうということになったのです。彼の奥さんと話すのは初めてでしたがとても気さくで話しやすいお方でした。ヨメとも話が合ったようで私達がもう少しでここを去らねばならないこと残念なことです。しかしあるま次郎氏もいずれ郷里で開業するつもりのようでその時には郷里でのおつきあいがもてることに期待できるかなと・・。とりあえずその店のやたらに濃いウーロンハイでかなり酔っぱらって帰宅しました。
今日はお休みです。昨日の大活躍(?)と前夜の準備、大会後の打ち上げ・・とハードな一日を過ごしたヨメは昨夜「明日は昼まで寝る!」と宣言して10時には就寝していました。しかし朝方ヨメが起きだした気配を感じて少しだけ目が覚めて時計をみるとまだ8時前で、いつもの習慣には逆らえなかったようです。私はまたそのまま寝入ってしまい次に目覚めてみれば11時過ぎでした。今日はいつもの買い物以外には特に予定らしい予定はなく、なんとなく時間の過ぎ方もゆっくりした感じでした。外は昨日と同じように強い日射しが照っていて、起きだして階下に降りてみればヨメは丁度洗濯物を干し終えたところでした。休日はいつもそうしているように朝食兼昼食(あくまで私には、ですが)を摂って買い物に出かけました。いつも必ず立ち寄るメディアショップでヨメは「かまいたちの夜2」を購入していました。退職して時間ができたのでやるつもりのようです。以前の専業主婦のときには「Xi(サイ)」にハマりまくってましたが、ともかくここ1年以上単なる置物と化していたうちのプレステ2も久しぶりに働くときがきてよかったかなと(?)。帰宅してからはまた蚊に刺されながら水遊び・・もとい庭に水まきをして今日は終わりです。ちなみに昨日の日焼けは絶好調でもう今日はちょっと陽に当たるだけでも痛みまくりです。明日はまた病棟です。白衣を着ると日焼けした肌にはスレてつらそうな予感が・・。
今日は海の日でお休みです。私にとっては久しぶりの連休なので今週は昨日の夜に千葉に戻り、久しぶりに土曜の朝を自宅で迎えました。ヨメは昨日で老健(老人保健施設)での仕事を終えて今日からはしばらくは専業主婦です。しかし、今日は毎年町内で行われる町民レガッタ大会(1艇4+1人で競うボート競技)があってお祭り好きのヨメは職場の仲間達とチームを作ってエントリーしていました。ヨメは昨夜遅くまでメンバーの人達用のお昼のお弁当の仕込みをしていて、今朝もかなり早起きをしていたようです。なので朝目覚めてみれば私一人で階下に降りてみれば明らかに作ったお弁当の残りと思われる私の朝食が置かれていました。外は梅雨明けを思わせる快晴で典型的な真夏の太陽ギンギラギン(死語)のお天気でした。朝食を食べてからまた布団に戻り雑誌を読みながら暑さにダレていると昼頃ヨメから電話が入り、予想に反して予選を通過して2回戦に進出が決まって次戦の出艇は14時だと知らせてきました。電話で私は(予選落ちだと午前中で終わりなので)「弁当が無駄にならず済んでよかったね〜」ととぼけておきましたが、これは「応援に来い」という命令(?)だなと思った私は強い日射しに熔ける思いをしながら会場へ向かいました。丁度ヨメ達のチームのボートが出艇するところでギリギリ間に合ったようです。老健の事務長を始めとして職員の方々が数人応援に来ていて一緒に2回戦を観戦することにしました。号砲一発スタートすると、ヨメ達のチームのボートが目の前を通過していきました。漕ぐ姿がサマになっていたのはとても意外で、しかもそのレースも2着となって準決勝進出を決めてしまいました。残念ながら準決勝は勝ち残れませんでしたが、それでも初めてにしては大したものだと思います。ヨメ達をねぎらってから私は帰宅し水で涼みがてら車を洗うことにしました。合計14ヶ所ほどヤブ蚊に刺されながら水遊び・・もとい洗車をするとすっかり陽もかげって一日が終わりました。今日は久しぶりに外で過ごした一日で最近では健康的といえるかもしれません。しかし現在腕や首筋など来ていたタンクトップの形が判るくらいに赤くなってヒリヒリしています。もう今年は海に行く必要もないかなと。皮膚がんにならないかしら〜なんつって。
今日は郷里で外来でした。昨夜はフリテン・ハコテンの世界で「ちょっとだけ」夜更かしだったのと勝負事をしたせいか神経が高ぶってしまいなかなか寝付けず思い切り寝不足な夜でした。どうにかこうにか起きだして極々軽く朝食を摂って出勤です。今日はいつもと違ってとにかく皮膚科領域の受診がとても多い日でした。今日に限ったことではないのですが皮膚科領域の受診では最近「○○皮膚科を受診したのに良くならないからここ(当院)がいいと人にきいて来た」という方が増えているように思うのです。これは私だけでなく看護師さんも同じことを感じていたらしく「最近(○○皮膚科から流れてくる患者さんが)多いよね」と私に言ってきました。その「○○皮膚科」は最近(とはいっても2年そこそこにはなるらしいですが)開業したところで、この地域には皮膚科が無かったこともあり今もって大はやりの診療所だそうです。私のいる診療所は皮膚科も標榜しているので皮膚科疾患の受診があって当然なのですが、院長先生はもともとは外科医なのでいわゆる専門の皮膚科医ではありません。それでも長年の経験で皮膚科の治療成績は優秀で、それが地域の人々にも浸透していて今日のような患者さんが受診されるようです。これまでは「I医院(当院)に行け」というのは即ち院長先生に診てもらうのと同義なわけですが、今の当院の体制では新患は私のところに来てしまいます。正直「皮膚科の先生でダメなのを俺にどないせいちゅうねん」と思ってしまうところもあるのですが、とにかく自分なりに診て判断し対策を講じてはいます。勿論判断に窮すれば院長先生に助けを求めることにしてはいますが、とりあえず今のところは先生の手を煩わせずとも皆さん良い方向に向かってくれているようです。民間の医療施設にとって人々の評判というものは生命線になりうるものだということは重々承知していたことですが、こうして実際にそれに従って専門医からでさえ患者さんが流れてくるのを目の当たりにすると例えば当院の皮膚科領域に関してこれまで院長先生が築いてきた評判を自分が崩さずにいられるのかどうかとても不安になってしまうのでした。今のところはちょっとズルイかも知れませんがそこの所は上手く院長先生を利用させてもらうようにしようかなと思っています。そうすればいずれ「独り立ち」できるときも来るでしょう。
2002/7/18 更新はお休みです。
今日は郷里で外来でした。仕事はやはり小児科&小外科な内容でした。夜は父親が家にいたのでフリテン・ハコテンの世界です。半荘3回ほどやって私はトータルでプラマイ0というフラットな結果でした。
2002/7/17 更新はお休みです。
今日は郷里で外来でした。新しいパートの看護婦さんと受付の事務員さんが増えていました。名前を聞いたのですが、何故か忘れてしまいました。仕事は普段通りでした。
今日は千葉で外来でした。昨日はかなり深酒だったこともあって今朝は思い切り二日酔での目覚めです。牛乳をがぶ飲みして出勤です。台風7号が接近していることもあって朝から強い風と時折強い雨が降るお天気で午前中の外来は10時半頃までは受診がありました。しかし、台風が館山に再上陸した11時頃になると外は大荒れのお天気となってやはりピタリと患者さんが来院されなくなりました。この分だと午後はヒマかな?などと思っていたのですが台風は早足で千葉を通り過ぎて午後の診療の始まる14時には日射しが戻っていました。仕事は全く持っていつも通りでしたが、待合い室に貼られた「8月からの診療担当医師のご案内」の紙をみるといよいよもってここでの仕事もあと僅かだと思わされます。外来を終えて病院に戻りいつものように院長先生とお話をしてから郷里に戻りました。台風を追うように北に向かうわけですが追いつくはずもなく途中も全く雨に降られずに実家にたどり着くことができました。
今日は千葉で病棟勤務でした。私の退職が迫っていることもあるのかこのところ胃瘻造設が毎週のように組まれていて、今日も午後から1件予定されていました。午前中は腹部の超音波検査が2件入っていて、うち1件は全身倦怠を主訴に受診された患者さんの精査目的でした。検査の結果は典型的な閉塞性黄疸の所見でしたが、外見上は黄疸を思わせるような皮膚色ではありませんでした。検査所見上は総胆管結石(かなり少ない確率であるいは総胆管腫瘍)による胆道閉塞なので通常であればそのまま入院して処置(EST:内視鏡で胆石を取り除く)を計画する流れです。しかし患者さんの性格的な問題からか院長先生のオーダーには検査後外来受診させるよう指示があったのでとりあえず所見を記載して外来に送りました。恐らく午後はこの人が入院して処置が入るかも・・などと思いながら検査を終えて療養病棟の回診に向かいましたが、結局当面入院はしないことになったようです。院長先生によれば本人の拒否が強くて説得には時間がかかりそうだとのことでした。やはり検査後の外来受診の指示はこれを見越してのことだったようです。少なくともこの患者さんが入院して処置を行うようになったときには私は退職したあとでしょうからちょっと気になることではあります。
午後の仕事は特に問題なく終えて今日の夜は院長先生と事務長とで私の「お疲れさま会」となりました。町の駅から電車で銚子市まで出かけて銚子のお魚でちょっと一杯といった趣向です。この町に移住して2年8ヶ月になりますが初めて町の駅に入り電車に乗りました。旬のお魚(鰯のお造りがめっち旨かった・・)はとても美味しくてついついお酒も進んでしまいました。千鳥足とはいかないまでもそれに近い状態で町に戻り、院長先生のお宅におじゃまして2次会(?)となりました。いろいろとお話はあったのですが院長先生は今の私の現状について「やはり先生は今は(郷里に)戻らなくちゃだめだよ」と言って下さり、私としては肩の荷がおりた思いです。それでなくとも今回のことでは病院には多大な迷惑をかけてしまっただけにこの言葉は胸にしみます。また、院長先生も事務長も「果たす義理を果たして、もし(郷里の診療所に)居づらくなるようなときがあったらいつでも戻ってこい、待ってるから」とも言ってくれて私としては万感の思いです。私としてその言葉に甘えてはならないことは解っているのですが、それでも気持ちの上でいざとなれば自分の戻れる場所があるというだけで今後も頑張れると思えるのです。これからの私には郷里の診療所での仕事が待っているのですがここでの私の立場というものは実は結構微妙な所もあって(もしこのサイトがずっと続けば追々ここに書くこともあるかも知れませんが)自分の中ではここでの立場を決して完全に楽観はしていないことだけは確かです(以前「終の棲家」とは書いたんですがね・・)。決して逃げ道にはしませんが今日の院長先生の言葉は今後対峙するであろう困難に向かっていく上での支えにはなると思います。(院長先生の中では半分以上本気の言葉なのでしょうけど・・)
今日は休みでした。日曜日の朝を自宅で迎えるのは3週間振りです。久しぶりに自分の布団で朝寝をして11時過ぎに起き出しました。外は強い日射しで気温は既に上がっていてとても暑くなっていてとても強い風が吹く天気でした。ヨメは既に起きていて階下に降りてみると髪が短くなっていました。午前中のうちに美容院まで行って来たようです。ヨメと朝食兼昼食を摂ってからいつもの日曜のように買い物に出かけて・・あとは家でゴロゴロして終わりです。
今日は郷里で外来でした。今日は身内にご不幸ができたため院長先生はお出かけになり私一人の診療となりました。出勤途上の車の中から今日は絶対に時間内に終われないと確信していましたが、いざ仕事を始めてみればそれは全くその通りでした。また、今日に限って市の健診の胃の透視が2件も入ってしまい、それでなくても患者さんの(数的)処理能力に劣る私にはてんてこ舞い状態です。数をこなそうと思えば診察を簡略化すればいいのですが、どう簡略化するかを考えるのも面倒なために結局いつもの通りにしてしまうので結局は患者さんをお待たせしてしまうことになります。またもともと外科は私が診ることになっているので処置の患者さんも多くてどうしても一人当たりの診療時間は長くなりがちです。そんなこんなで患者さんにお待たせしたことを詫びながら仕事をなんとか終えたのは1時近くになってからでした。当然お腹も空いていて今日はhashizou氏と第5回目のいわきラーメン屋開拓事業となりました。当初の目的としていた店は私が診療所からの帰りがてら偵察したのですが長蛇の列ができていたので、今日は以前行った店の違うスープのラーメンを試すことにしました。私は塩ラーメンを食しましたが、非常にオーソドックスなスープで今後の塩ラーメンのリファレンス的な位置づけに向いているのでは?と思ってしまいました。事業(?)を終えて家に戻り、少しだけhashizou氏宅におじゃましてから千葉に戻りました。本当に1週間の過ぎるのが早いです。
今日は郷里で外来でした。今日は昨日に比べればかなり過ごし易く、気温は30度を超えていたのですが風が心地よい日でした。この地域は港町で海が近いため気候が穏やかで(夏涼しく冬暖かい)、自分の田舎の数少ない自慢できることではあります。仕事の方はいつもと同じペースで終えて、帰宅して夕食を摂り終えるのと同時に電話が鳴りました。電話は診療所からで縫合が必要な外傷の患者さんが来院したので来て欲しいとのことでした。診療所の3階が院長先生のお宅になっているので時間外の受診があっても院長先生が対応しているのです。縫合処置ならば院長先生もできるのに私に声がかかるということは余程酷いものなのかな?などと考えながら靴下も履かずに家を出て車を飛ばしました。診療所に着いて職員の入り口に向かうと私の白衣をもった院長夫人が出迎えてくれました(普段の着替えは院長宅でしているので白衣は3階においてあるのです)。白衣を受け取り診察室に向かうと院長先生と帰らずにいた事務長がいました。患者さんはサーフィン中にボードが額に当たって受傷したとのことで、傷自体は大したことはないのですがその形が薄く皮膚を削いだようになっていました。下手な処置をしたのでは大きく傷跡が残ってしまうため細かく縫合する必要があり、院長先生は私を呼んだとのことでした。早速準備して処置にかかり、髪の毛ほどの太さのナイロン糸(太さの記号でいうと6-0というものです)で薄くflap状になった皮膚をそれが剥げた所に縫合していきました。傷跡が残ることは避けられないのですが、出来るだけ目立たなくするため縫い代は極めて小さくする必要があってそれはとても細かい処置になります。そばで私の処置を見ていた院長先生は「この世界(6-0ナイロンを使うようなすごく細かい処置)だもん、もう俺の出る幕じゃねーよな〜」としきりにおっしゃっていました。私はその言葉を聞いて少し得意になっていましたが、処置中少し考えてみると私がこの処置ができるのは極細のナイロン糸でも見ることのできる目と細かい作業でも震えずに処置のできる手があるからでそれは私が今の年齢だからなのです。当然院長先生だって以前はこうした処置ができたわけですから、いずれは私も今の院長先生のような言葉を言うときが必ずくるのです。出来て当たり前の処置でもいずれ出来なくなるときがくる・・処置だけでなく最新の知識に頭が追いつけなくなるときが必ず来る・・世代交代は当たり前のことなのですが「もう俺の出る幕じゃない」と言っていた院長先生の胸中といずれ我が身ということを考えると今いろいろなことがバンバンできるということがとても貴重なように思えるのでした。
今日は郷里で外来でした。昨夜は暴風雨の音が激しくて夜中に2、3度目が覚めてしまいました。幸い私の実家のある地域は被害はなく済んだようで、朝は台風一過の快晴で日中は非常に暑くなりました。しかしこのところの目まぐるしい気候の変化のせいか体調を崩されて咽頭痛などを訴えて受診される方が多くおられました。とかいいながら、私自身が一番バテていたりして。暑いのはどうもニガテです。
今日は郷里で外来でした。今日も朝から強い雨が断続的に降り、午後は大雨になってしまいました。さすがにこんな天気では患者さんの足も鈍って(いつもにも増して)私には診察室に置いたMacをいじる時間がたくさんありました。仕事を終えて家に戻ると父親が家にいました。いつもは民謡教室で夜はいないのですが、さすがにこの天気ではお休みにしたようです。・・と、いうわけでこのパターン(父親が家にいる)の常としてhashizou氏のお父上に声がかかって「ブロック積み」となりました。前回私にダブル役満を振り込んで大負け(ちなみに家族が面子なので金銭は賭けていません。あ、もちろん図書券も)した父親が今日は雪辱を果たしてトップになりました。この地域は今夜未明に台風が再接近するようです。
今日は千葉で外来でした。台風6号の接近に伴って時々強めの雨が降ってはやんで・・といった様な天気でした。それでも患者さんはいつもと同じくらいの受診がありました。午後はいかにも台風の雨が本格的に降り始まって隣町の外来はヒマになるかな・・などと思いながら診療所についてみると予想に反していつもの倍近い受診があっていつもの往診に出られたのは診療終了時間の16時を過ぎてからでした。仕事が終わって病院に戻ったときには5時をとうに過ぎていて院長先生と2、3お話をしてから病院を後にしました。田舎に戻る道のりはやはり強い雨が降ったりやんだりで高速などはかなりスリリングでした。スリップマークこそまだ出ていませんがタイヤの減りが目立ち始まっているので交換を急ぎたくなってしまいす。しかし、とりあえずこうして千葉・福島の往復が続いているうちはなかなかヒマがつくれないので難しく・・しかし福島に落ち着いてからではイミがないんですけどね。
今日は千葉で病棟勤務でした。今日は珍しく午前中に腹部超音波検査が1件のみ、午後は胃瘻チューブの入れ換えがあるくらいの比較的気楽な日でした。検査を済ませていつものように療養病棟の回診をしましたが特に大きなことはなく、12時を少し過ぎたくらいで昼休みに入れました。午後の胃瘻チューブの入れ替えは15時頃からしかできないのでそれまでの時間に昨日購入したHP作成ソフトを事務所のマシンにセットアップすることにしました。先週の月曜日に苦労して空けたCドライブの領域は安全(と安心)の為にとっておいて、全く手つかずで空いているDドライブ(17GB)の方にインストールしました。後は病院のレンタルサーバーへのFTPの設定をしてファイル群をダウンロードしてとりあえずOKです。ちなみにこの病院は電話回線上の制約でADSLを引くことが出来ずISDN回線なのでダウンロードにはかなりの時間を要しました。あとは男性の事務職員(ちなみに私と同い年)にGoLiveによるHPの更新の仕方を教えて・・と行きたいところですが今は時期的に保険請求で事務が一番忙しい時期なので詳しい指導は来週になりそうです。一仕事終えると丁度15時近くになっていたので予定の処置を行う為療養病棟に向かいました。仕事が終わると今度はヨメの職場(ヨメは同法人の老人保健施設のデイケア主任だったりします)に向かい、現在ヨメが自前のMac(iBook)で使用しているデイケア管理のためのデータベース(私が作ったものです)をヨメの職場にあるWin機で使えるようにする作業を行いました。私の退職に伴って当然ヨメも辞めることになるので後継者に対してそのソフト(データベース)を使えるようにせねばならないのです。基本的にはデータファイルを移すだけで済むのですが、プリント関連のスクリプトの書き換えがあるので作業はそれなりにややこしいものとなりました。それでも30分ほどで作業は終了し動作を確認して完了です。ヨメも私もいわゆる残務処理をしているのだなと今更ながらに思うのと私の場合本職以外のところが多いようにも思うのでありました。
今日休みでした。今朝の目覚めは東京のホテルででした。昨夜のアルコールは少し残っていて爽快とはほど遠い目覚めで、バスルームに行ってみれば顔はむくみまくり、目にはクマができていました。しばらく部屋でボーッとしながら過ごしているとようやく身体も始動し始めて気分もマシになってきました。11時半頃に部屋をでてチェックアウトしホテルのレストラン(?)で軽めに食事をとりました。ホテルは新宿にあるので西口の小田急ハルクにオープンしたビッ○カメラに今週始めに(千葉の)院長先生に頼まれていた(病院の)HP作成ソフト(Win版GoLive6.0)をついでに買いに行きました。ホテルのシャトルバスで駅前にいってソフトを購入しとんぼ返りでホテルに戻り、車で千葉への帰途に就きました。家に着くとさすがに疲労に襲われてしまい何もする気がおきなくなってしまいました。明日からまた仕事が始まります・・。
今日は郷里で外来ですが、土曜日なので半ドンです。一昨日の嚢胞切除の患者さんの局所の状態は幾分改善傾向がみられ、当然未だ新しいドレーンは届いていないのですが昨日行った応急的な処置はなんとか効を奏したようです。日々の仕事では勿論なにも大きなこともなく過ぎることは珍しくはないのですが、しかし高さの大小はあるにせよその日を乗り切るために越えねばならない「山」のようなものが必ずあるものです。一昨日以来はこの患者さんの処置がそれにあたりますし例えばちょっと気になる症状の患者さんがいたときなどもそんな気分になります。今日のようにいい方向に向いてくれればいいのですが、それでも朝出勤してその患者さんの診療が終わるまでは気分的にはちょっとスッキリしない感じです。今日は件の患者さんが朝イチで受診して早いうちにホッとして一日を過ごすことができました。今日の夜から東京で千葉の病院の集まりがあるので、このところhashizou氏と土曜日にやっていたいわきラーメン屋開拓事業は今日はお休みです。昼食後実家に戻り家に預けたカブちゃんの写真をとって東京に向かいました。2次会を終えて宿に戻ったのは日付が変わった1時過ぎでした。久方ぶりに大酔っぱらいとなってしまいました。
今日は郷里で外来です。今日の仕事も一昨日・昨日と行った処置の消毒や、いつもの小児科医な内容で大きな変わりはありませんでした。ただ、昨日嚢胞切除を行った患者さんの患部に留置したドレーン(創下に溜まる滲出液を排出するためのフィルム状の管)が上手く機能しておらず創下に滲出液が貯留しかけていることがとても気にかかります。道具のせいにはしたくないのですが、この施設にあったフィルムドレーンはお世辞にも排出効率に優れているとはいえず(ホントにフィルムなんだもん)留置する際にもちょっと心配ではあったのです。その心配が現実のものとなりつつ今、事務長に話して早急に別のドレーンチューブ(ペンローズドレーン)を取り寄せてもらうことにしました。しかし明日までに届くかどうかが微妙なので明日の入れ換えは難しいかもしれません。こうなると月・火とここで仕事ができないのが大変口惜しくなります。
ここでこうして駄文を連ね始まって今日でちょうど2年が経ちました。ここ2ヶ月は毎日ペースの更新がちょっと乱れましたがなんとかここまで続けることができました。ここの「About・・」(自己紹介)のページの最後に「田舎に帰る(予定)。働き口は思案中。でもあと3〜5年はここ(千葉)にいるつもり・・だったけど先行き不透明。」と書いていますが、現状を鑑みるに本当に先行きは不透明だったなと実感せざるを得ません。結果だけをみれば私の思い描いていた通りになっているのですがいかんせんこうも早くその時が来たのは予想外です。当然職場の移行はスムーズにしようと思っていたわけですが、結局円満退職とはほど遠い形になってしまいました。本当に千葉の病院の院長先生には申し訳なく思っています。と、同時に人生の転機というものは本当に突然やってくるものだとつくづく思います。まだ完全に落ち着いたわけではないのですが、今度こそは「永久就職」になれば・・と願ってしまいます。まあ、少なくとも10年くらいはこのままいけるだろうとは思うのですが、それこそ一寸先は闇の言葉通りまた新たな転機がやってくるかもしれません。そしてその時に私はこうしてまたその様子をここに書いていたりするのでしょうか?
今日は郷里で外来です。今日も1件とはいえ足の処置があって昨日からの流れが続いていたようです。午前中は特に大きなこともありませんでしたが、午後から処置を行いました。右足関節の嚢胞の切除なのですが、そのサイズが7cm前後もありしかも嚢胞と周囲組織との境界が非常に判りづらくて終わってみれば1時間以上もかかる「大手術」になってしまいました。思わぬ長時間の処置で大汗をかいてしまい、次からは術下着に着替えてやろうと心に誓うのでありました。私の身体の方は所々ガタが出てきたような感じで、具体的な症状(頭痛、心窩部痛等々・・)が出始めました。正直なところ本格的な移籍(?)の前にまとまった休暇が欲しいと思い始めました。今後引っ越しとそれにまつわる準備などがひかえていることを考えるとあまり身体を休めるヒマはなさそうですし・・。
今日は郷里で外来です。例によって半分小児科医のような仕事の内容でしたが、今日はどういう訳か足にとりつかれた日になってしまいました。痛風発作に始まって、陥入爪の根治術、外傷(これが・・かなりスゴかったです)、鶏眼(魚の目)切除・・と足ばかり診ていたように思います。しかも処置中は顔を足に近づけているので、その・・ニオイが結構きつかったりします。とはいえすぐに慣れてしまうのですが。仕事を終えて家に戻るとまた父親が家にいて・・そのときのいつものパターンとなりました。hashizou氏のお父さんに声をかけていざ決戦!なのですが、なんと今日の勝負で私はダブル役満(大三元+字一色)(麻雀をご存じない方、申し訳ありません)をあがってしまいました。なんか、今年いっぱい分の運を使い果たしてしまったかも・・?と心配になったりして。
今日は千葉で外来でした。午前も午後も特に大きなことはありませんでしたが、引継に向けて私の外来の常連患者さんの申し送り(ショートサマリー)をカルテに書き始めました。ほとんどが慢性疾患の患者さんで特殊な経過の方はおられずあまり書くこともないのですが、中には隣町の胃癌術後の患者さんのようにきちんとしたサマリーが必要な方もおられます。後を託すのは事実上院長先生(町中は若先生もですが)なのですこし大きめの文字で手短に書くようにしています。それでもそれなりに時間がかかってしまい全てを書き終えるまでにはもう少しかかりそうです。仕事を終えてからは例によって郷里に移動です。山の中の区間を走るためもあって夜の常磐道を走ると車はフロントバンパーを埋め尽くすくらいに張り付いた蚊などの虫の死骸で一杯になります。・・洗うことを考えるとちょっと気の遠くなる今日この頃です。
今日は千葉で病棟勤務でした。今日の午前中は胃の内視鏡の検査が1件、午後は胃瘻造設が1件予定されていました。午前中の検査は先々週も検査をした胃潰瘍の患者さんで思うように食事の摂取がアップしないため今日の検査となりました。検査自体は3回目で初回の状態は極めて重症な潰瘍でしたが今日はほとんど治っているような状態でした。潰瘍が治癒する過程でひきつれが生じて胃の出口(幽門)や十二指腸が狭くなって通過障害を引き起こすことがあるのですが時期的にみてもそれが起こるには早いですし実際今日覗いてみてもどこも狭くはなっていませんでした。少なくとも内視鏡上は軽度の炎症以外食物の摂取を妨げるような所見は認めませんでした。なので今日からまた試験的に食事を開始してみることにしました。今度は食べ方をみながらゆっくりと食事内容を上げていく(流動食→3分粥→5分粥・・といったように)ようにしようと思いますが、うまく行くことを願うのみです。その後はいつも通りに療養病棟の回診をして午前中は終了です。午後の胃瘻造設も滞りなく終了して、その後ちょっとした処置を2、3件片付けると基本的にヒマになりました。
昼休みに院長先生から病院のHP(あるんですね、これが。ここでURLは明かせませんが)を修正するために必要なソフト(この場合GoLive6.0になります。私の場合)を購入して事務室にあるマシンに入れておくのと、それの使い方を職員に教えて置いて欲しいとのお話がありました。基本的には専門の業者に依頼して作成したサイトで管理もそこが行っているのですが、これまではちょっとした修正は自前で行う・・つまり私が自分のマシンから修正していたのでした。しかし私がここを去ることが決まった今その仕事を誰かに継いでもらわねばならないし、そのためにはソフトも必要です。事務室のマシンはほとんどノータッチだったので午後の余った時間はその内容を調べることにしました。当然Win機なのですがCドライブの空き容量が既に20MBを切っているような状態で新たにソフトを入れる余裕はなさそうです。職員に訊きながら使用していないソフトを次々にアンインストールしてダイエットを敢行しなんとか400MB近くまで空きを確保できました。そこで初めてDドライブの存在に気付いて調べてみたら全くの未使用で17GBほど空いていたことに気付いたのは秘密です(かなり脱力しましたが)。とりあえず仕事を終えて病院を後にし、そのまま隣町のいつものショップにGoLiveを買いに行きましたがあいにく在庫がなくて今日のうちに購入することはできませんでした。そのまま帰るのもシャクでしたし、丁度車のオイル交換時期だったのでショップの向かいにあるオー○バックスに寄ってオイル交換をして帰宅しました。現在の生活パターンでは月に約1500km走破しているのであっという間にオイル交換の時期になってしまいます。タイヤの摩耗もみられるようになってきたので遠からず交換せねばならないようです。私だけでなく車の方も結構疲労の色がみえたりして。